礼拝
今回は、ヨハネの福音書7章1~13節について学びました。
キリストは当初、兄弟たちにさえ理解されず、皮肉や非難を浴びせかけられました。
キリストはそのような人々に対し、彼らが世の人々と同じところに属する者であり、世に同調して歩む者であることを指摘し、ご自身は孤独に十字架に向かって歩まれたことを学びました。
私たちも世に同調して、
自分を取り繕ってばかりいるのでなく、
十字架への道を歩まれたキリストが共にいて下さることを信じ、
雄々しく世との違いを顕し、
自分の十字架を背負って行く者とならせていただきたいと思いました。
旧約はノアの方舟のところを学び、
ノアが方舟の中で生きた日数や洪水がどのように始まって
どのように終わって行ったのか等について学びました。
今回も教会員以外の参加はありませんでしたが、
この学びが、今後福音の働きに繋がって行くことを待ち望んでいます。
参加者のコメント
ガリラヤとユダヤの距離を、宮城県登米市と福島県福島市に例えて教えて頂いたので、距離感が分かり、当時は何日かかけて徒歩で移動したのだという事をイメージしやすかったです。1人で聖書を読んでいて、聖書の世界観が想像できず、難しく感じる所も、バイブルクラスではじっくりと時間をかけて教えて頂き、理解を深められていることを感謝致します。
今回の学びで、山本光明牧師のことを思わせていただきました。大兄が、自分を良く見せたい偽善者に対し、光明牧師は偽悪者だと仰ってました。私自身は本当に偽善者だと思います。人前ではヘラヘラして、実際は相手のことを思いやる気持ちはサラサラない者です。だから光明牧師を目の前にすると、ビクビクしている者でした。私も光明牧師がキリストの心であったように、真実に隣人を愛する者として歩んでいこうと思います。
私は今回のところから伝道の大切さについて学ぶことができました。今はキリスト教に無関心な人が多いことから、どんな形でも興味を持ってもらうことが大切であり、どんな人に対しても祈り続けていくことが大切であることを教えていただきました。私は苦手な人に対して、自分から距離をとってしまいがちなので、苦手な人のために祈るということは難しいと思っていましたが、どんな人でも救われるということを心に留めて、どんな人に対しても祈り続けるものであらせていただきたいと感じました。
この月も聖書について、よき学びができました。