【レポート】2026年3月22日 三浦綾子文学講演礼拝

3月は集会の動画はありません。

参加者のコメント

泥流地帯のテーマは「苦難」でした。この小説の中で、なぜ正しいと思われる人に苦難がおとずれるのか?その問いは人間には分からないという内容があります。この箇所から、全く罪のないイエス・キリストが、私たちの罪の身代わりとして十字架刑に処された苦難ほど不条理なことはないと長谷川先生が語られたことが心に残り、このことを決して忘れてはならないと思いました。また、どのような苦難の中にあっても神様は共にいてくださり、必ず苦難の経験すべてを益としてくださるということも教えられました。

レジュメ

三浦綾子文学講座 「泥流地帯」

1、「泥流地帯」とは

①第25番目の作品。

・連載 1976年1月4日~1976年9月12日(北海道新聞)

・単行本発行 1977年(昭和52年)3月25日(新潮社)

②三浦光世氏の依頼によって書かれた作品

「旧約聖書のヨブ記には、神の前に全く正しいヨブという人物が、瞬く間に多くの家畜を略奪され、災害によって子女を失い、自らは大変な病気に冒されるという、不可解な苦難が例示されている。私はこのヨブ記をいわば下敷に、十勝岳大爆発を小説に書いて欲しいと、綾子に頼んだのである。が、綾子は、すぐにはOKとは言わなかった。 ・・・そのうちに、北海道新聞社から、「日曜版に連載小説を書いてくれませんか」という求めがあった。一九七五年の二月か三月頃であったろうか。この時綾子は、意外にあっさりと引き受けた。しかも、私の勧める題材を書くと言ったのである。」(「三浦綾子創作秘話」三浦光世氏)

③主題は「苦難」

「だから、もしこの「泥流地帯」という小説のテーマは何だろうか、と訊かれたら、私自身は、それは「苦難の意味」ということではないだろうか、というふうに答えたいのである。」

(「続泥流地帯」文庫本解説、佐古純一郎氏)

④三浦綾子最愛の書の一つ

「「泥流地帯」は私の作品の中で、私の最も愛着を感ずるものの一つである。」(「明日をうたう」第一章三)

2、「泥流地帯」のメッセージ

①タイトルから

・自然災害 十勝岳噴火

「大正十五年(一九二六年)五月二十四日、十勝岳の大爆発によって山麓の農村を山津波が襲った。死者百四十四名に及ぶ大惨事であった。」(「明日をうたう」第一章三)

・人間災害 深城とその関係者

「それなのに、兄ちゃんは苦労のし通しだ。泥流に何もかも奪われただけで充分なのに、またこんなひどい目に会って・・・片足でも短くなったら」(「続泥流地帯」鶏の声)

②序章(「山合の秋」一)から

・外(この世)は闇

「外は闇だった。星光(かげ)一つ見えない。 ・・・あまりの暗さに、外に出た拓一は、ぶるっと体をふるわせる。いつもこうなのだ。もう六年生だというのに、拓一は夜、外に出るのが恐ろしい。 」

・内(教会)は光

「言いようもない恐ろしさに、拓一は一目散に戸口に走る。引戸をがたびしさせて、ようやく家に入る。」

「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:5)

「イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」」(ヨハネ8:12)

・父の死(神を失って)以来臆病になった

「拓一は、自分が臆病になったのは、父の義平の死以来だと、自分でも承知している。」

「イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「・・・恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。」 」 (イザヤ43:1、5)

③本文から

・人間に変りはない

「深城さん、水呑み百姓でも、小作でも、人間には変りはあんめえ。」(「山合の秋」五)

・人間の一番の勉強

「頑張って勉強し給えよ。人間の一番の勉強は、困難を乗り越えることだ」(「矢車」五)

「俺たち、菊川先生に習ったぞ。人間もカラスを見習えってな。物事を明るく考えたり、明るい光を求めて生きて行けってな」(「日追鳥」一)

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

・偉い人間

「「そのためには、兄ちゃんうんと働くからな。母さんの病気もなおさねばならん。お前も師範に上げねばならん。兄ちゃんは忙しいぞ」 ・・・なるほど、兄の拓一は、祖父の言う、人にして上げたい側の人間なのだと耕作は感心した。耕作はまだ、福子を助けたいとか、母に仕送りしようとか思うよりも、何とかして勉強したいという気持が強い。「兄ちゃん、偉いなあ」」( 「氷柱」七)

「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。」(マルコ10:43)

・クリスチャンの模範

「教会は知らないが、キリストを信じている人なら知っている。二年程前まで、隣り村の美瑛の村医だった沼崎重平先生だ。 ・・・どんなに貧しい農家にも、村長にも、同じ態度で接するとも聞いた。耕作も一度だけ顔を見たことがある。 ・・・ニコニコした見るからに優しい顔だった。母の世話をしてくれているという女の宣教師もあんな顔だろうかと思う。親戚でもない母を引取ってくれるほどだから、優しいに決まっている。母の手紙によると、スープという肉汁や、牛の乳でつくったバターやチーズというものを、いつでも母に食べさせてくれるそうだ。 」(「土俵」五)

・聖書の教え

「「な、じっちゃん、この石村の家、何かに祟られてるべか」・・・ 「そだことねえ。そだこと言う奴は、物事をよく弁えねえ奴だ。じっちゃんは国にいた時、論語だの聖書だの読んだもんだがな。聖書には『正しい者には苦難がある』って、ちゃんと書いてあったぞ」・・・「ふーん、何で正しい者が苦難に会うんだべ」・・・「そいつはなあ、人間の理屈で考えてもわかんねえことだ。何せなあ、キリストは神の子だっていうべ。神の子といやあ、こりゃあ何の罪もねえ正しいお方だ。それが十字架にかかって殺されっちまった」「ふーん、どうしてだべ?」・・・「そりゃあお前、衆生済度のためだ。何の罪もない神の子が、人間共の身代りになったんだ」 ・・・悪くない者が、自分が悪いと言って詫びる。それがキリストの十字架ということなんだなと、のみこみのいい耕作にはすぐにわかった。」 (「土俵」五)

「そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわらないのです。」」(ルカ23:34)

・人間としての生き方

「成功者というのはな、自分がなりたいと思った者になれたら、それが成功者だ。 ・・・金を儲けるよりも、有名になるよりも、誠心誠意人のために生きる者になれたら、それは成功というものだ。」(「土俵」六)

「おれはな耕作、 ・・・もう一度生れ変ったとしても、おれはやっぱりまじめに生きるつもりだぞ・・・ 「な、耕作、母ちゃんばうんと大事にするべな」 」(「煙」七)

「「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイ22:36~40)