礼拝
参加者のコメント
レジュメ
三浦綾子文学講座 「天北原野」①
1、 「天北原野」とは
①第22番目の作品で、初めて「週刊朝日」に連載された作品。
・連載 1974年11月8日号~1976年4月16日号
・単行本発行 1976年(昭和51年)3月30日 上巻 5月20日 下巻
②多くの資料と取材に基づき書かれた作品
「参考資料といえば、巻末の「参考文献並びに参考資料」の頁には、興味を惹く書名がずらりと並んでいる。それにしてもよく読みこなして、小説に取りこんだものである。」(「三浦綾子創作秘話」三浦光世氏)
「登場人物たちの仕事は、大別して漁業と林業(造材業)になるのだが、内容をつかむべく、綾子は実に多くの人に取材した。」(同)
③主題は「苦難」「罪」
「私が『天北原野』と関連して『泥流地帯』と『海嶺』を挙げたのは、これらの作品が苦難の中に生きる庶民に光を当てつつ、苦難の意味を問うものであるからである。」(文庫本解説 久保田暁一氏)
「孝介のその言葉と思いの中に、人間存在にまつわる罪の問題、人を傷つけずにはすまされない人間の生の哀しさと重さを見つめる三浦さんの視点を私は深く感ずるのである。」(同)
2、 「天北原野」のメッセージ
①序章「エゾカンゾウ」から
・真実とトゲ
「崖ぶちの草の中に群がり咲く橙色の花を、貴乃は指さした。花弁が百合に似たエゾカンゾウである。ハマナスのように、はでやかな色ではないが、明るい色だ。・・・「感じのある花だねえ」「感じのある花?お貴乃さんもそう思う? ぼくもだよ。真実のある感じでね。僕も好きなんだ。」・・・「真実?」「そう。花にはどこか、だますところがあるからね。まるまる信用ができないんだ。このきれいなハマナスにだって、トゲがあるしね」「まあ」「だが、このエゾカンゾウの花は、素朴で真実で、そして気品があって、誰かさんみたいだ」 」(「エゾカンゾウ」一)
・暖かい風と寒い風
「陸からの風が、二人の間を通りぬけた。この暖かい風をヒカタ、逆に海から陸に吹く寒い風をヤマセと、この土地の人は呼ぶ。」( 「エゾカンゾウ」一)
「完治あんちゃんのばか。またヤマセ吹かせて!」( 「エゾカンゾウ」二)
②本文から
・真実な生き方
「「お父っつあんたら、舟をつくるんでも、家をつくるんでも、同じくらい根をつめるんだから」「そりゃあ、おめえ」と、一服深く吸ってから、「仕事に大小があっか。舟は大事な命を乗せるんだ。念を入れ過ぎるということはあんめえ」「そりゃ、そうだけど・・・あんまり真剣だもの。体が心配だわ」「お貴乃。お父っつあんはな。家を建てるも小屋を建てるも、同じくらい真剣にやらにゃなんねえと思っとる」 「あら、小屋も家も同じなの」「ああ、そうだとも、よくおばばがいったもんだ。ふだんこんめえことに真剣でねえもんは、でっけえことに向かった時、何もできねえ。ここ一番とけっぱってみても、何もできやしねえ。毎日のこんめえことが、大事だぞってな」」(「エゾカンゾウ」四)
「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」(ルカ16:10)
・読書の重要性
「砂山にすわって、孝介は貴乃に、いつも小説の話や世界の動きを語った。結婚の話が表面化しても、態度に変わるところはなかった。「こんどは『出家とその弟子』を貸して上げよう。倉田百三のものは、青春時代にこそ、読むべき本ですよ」とか、「こんな田舎にいればいるほど、読書はすべきだと思うよ。世間は広いんだ。いろいろな人が、さまざまな考えを持って生きていることがわかりますよ」などと、ともすれば話題は読書になった。」( 「エゾカンゾウ」四)
・人生とは
「兼作はよく言っていた。「お貴乃、人間はな、楽すみや喜びばかりうけるっちゅうわけにはいがねえもんだ。楽すみや喜びば受ける以上、苦すみや悲すみも受けねばなんねえもんだ」貴乃の心に深く刻みつけられた言葉だった。」(「波」三)
「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないのではないか。」(ヨブ記2:10)
・二種類の生き方
「その夜、完治は遭難の模様をみんなに詳しく語り聞かせた後に、こう言った。「とにかく、人間いつ死ぬかわからんもんだ。生きてる間に、したいことをして死ぬに限るな。太く短く生きるに限ると、俺は思ったぜ」その言葉を、貴乃は恐ろしい言葉だと思って聞いた。みんなも黙っていた。無事生還した完治に、言いたいことを言わせておくという感じだった。が、ちょうどハマベツから駆け付けた貴乃の父兼作だけは黙っていなかった。 「そりゃ、あまりいい料簡じゃあんめえ。人間いつ死ぬかわかんねえからこそ、大事に生きねばなんねえと、わしは思うどもな」」 (「藤八拳」一)
「もし、死者に復活がないのなら、「あす死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか」ということになるのです。思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。神についての正しい知識を持っていない人たちがいます。」(Ⅰコリント15:32~34)
・偉い人間
「偉いのは、おいこらと威張る人間でも、金を持ってる人間でもねえ。人が見ていようが見ていまいが、正しいことをまずめにやる人間だ」・・・「あの天井の下ば、でっかい梁があるべや。ありゃな、天井張ったら、誰にも一生見られねえもんなんだ。正直な大工は梁を見りゃわかる。人の見てねえ所に、倍も太い梁を使うからな。」(「ロシヤタンポポ」一)
・生きるとは
「「孝介さん、誰かが自分勝手なことをすると、必ずほかの人が、重い十字架を負わなければならないのね」 ・・・「まあそうだね。しかし、お互いに十字架を負わせてもいるのじゃないかな。生きてるってことは、結局は人を傷つけていることになる。人を傷つけずに生きてる人間なんて、ありはしないからね」孝介は自分の心の中を見つめるようなまなざしで言う。・・・「生きるって、大変ね。明日の日に、何が起きるか、わからないんですもの。受けて立つより仕方のないのが、人生のような気がするのよ、孝介さん」「受けて立つか、大変なことですよ、それは」「そうね、起きてくること、ひとつひとつに正しい判断を下したり、耐えたり・・・力の要ることねえ、生きるって」」(「ロシヤタンポポ」二)
「そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」」(ルカ23:34)
「私が、 『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか』と尋ねると、主は私に『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる』と言われました。」(使徒22:10.11)
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 」(詩篇119:105)
