礼拝
参加者のコメント
レジュメ
三浦綾子文学講座 「光あるうちに」①
1、「光あるうちに」とは
①刊行順では第11番目の作品で、「道ありき」「この土の器をも」に続いて「主婦の友」に連載された作品。
「道ありき第三部/信仰入門編」と副題が付けられている。
・連載 1971年1月~12月
・単行本発行 1971年(昭和46年)12月15日
②信仰入門書
「「道ありき」の完結編/神とは何か、愛とは何か。われわれがおのずから持っている罪を自覚し、そこに神の愛を思うとき、はじめて安らぎが得られるのだと説く、感動に満ちた信仰入門編!」(オビ)
・前半の6章 「序章」~「虚無ということ」 人間について
・後半の6章 「神ならぬ神と、真の神」~「終章」 神について
2、人間のプラス面を知る( 「序章」 )
「人間は生きている限り、いかなる人間であっても使命が与えられている。」
<睦子さんの例>
「睦子さんは確かに病人である。長い間、じっとベッドに臥ていて、何の働きもしないように見える。だが彼女は多くの病人を慰め、力づけた。彼女がそこにいる。それだけで、人々は日々慰められたのだ。生きている人とは彼女のような人をいうのではないか。 」
<ハンセン病のAさんの例>
「Aさんの顔は光り輝いていました。喜びに溢れていました。呼吸しかできない人が、 こんなに輝いている。その事実にわたしは打たれました。自分では呼吸しかできない人が、なぜこうも輝いているのか。その秘密は彼の枕もとにある点訳の聖書でした。 」(三浦綾子さんのペンフレンドの手紙)
「手が動かず、足が動かず、目が見えなくても、人間は人間なのだ。しかもその人間が、輝くばかりの喜びに生きているとしたなら、どんなに多くの人を励まし、勇気づけることであろう。人を励まし、希望と勇気を与えること、これこそ本当の人間の生き方ではないだろうか。 」
3、人間のマイナス面を知る( 「罪とは何か」~「虚無というもの」 )
①「私達は罪ある存在である」 ( 「罪とは何か」 )
「罪を罪と感じ得ないことが、最大の罪なのだ」
(例)三浦綾子さん 二重婚約、以前の婚約者のお見舞い
「義人なし、一人だになし」(聖書) 「わたしたちは一人残らず罪深い人間なのだ。」
法にふれる罪 泥棒、殺人、詐欺、傷害など
道徳的な罪 不親切、裏切、短気、意地悪など
原罪 神中心であるべきなのに、自分中心であること
②「私達は弱い存在である」 ( 「人間この弱き者」)
「子供一人ぐらい、思いのままに育てられると思ったわ。子供どころか、自分自身の短所さえ、なおす力を持っていないのよ、わたしたちって。」(三浦綾子さんの知人)
「わたしたちの平静な心は、占い一つ、病気一つで破られ、動揺する。」
「日常生活に起る問題にすら、わたしたちは賢明に対処することはむずかしい。いわば吾身一つの出来ごとさえ、一人でテキパキ処理できるほど、わたしたちは賢くはない」③「私達は不自由な存在である」 ( 「自由の意義」)
「キリスト信者になってしまったら、窮屈でしょう。わたしは自由に生きることができなくなるから、信仰はご免です」(多くの人の言葉)
「自由と放縦とはちがう。わがまま勝手とはちがう。」
「以上、目、口、手、足というように分けて書いて来たが、結局は、わたしたちは如何に不自由な人間ではないか、ということなのだ。 」
「わたしたちは実にまことに手も足も、目も耳も口も不自由な人間なのである。」
④「私達は愛のない存在である」 ( 「愛のさまざま」)
<恋愛のもろさ> チンピラに襲われ、恋人を置き去りにして逃げてしまった男性
<親子愛のもろさ> 幼児虐待、幼児殺し、わが子を売春婦などに売り飛ばす。
<友情のもろさ> 三浦綾子さんの知人達の例 異性問題で友情がもろくも失われた。
⑤「私達は虚無的な存在である」 ( 「虚無というもの」)
「わたしたちは、自分の生活が、ある人は五十パーセント満たされていると思い、ある人は九十パーセント満たされていると思って生活している。が、残りの五十パーセントが満たされない。十パーセントが満たされない。何かしらぬが、どこか満たされない。このような生活をわたしたちはしているのではないだろうか。」
旧約聖書 伝道の書 「空の空、空の空、一切は空である」
4、神を知る
①「神は弱い人間を強くする」 ( 「人間この弱き者」)
例1 引田一郎 北海道中の一軒残らずキリスト伝道のトラクトを徒歩で配った人。
不治と言われる重症のカリエスを十二年も病んだ人。
例2 矢部登代子 十歳から三十年間ただの一度も立ったことがない病人だが、彼女を通して受洗した者は三十名を越え、全国からの訪問者はその美しく明るい笑顔に励まされ、元気づけられて帰って行く。
②「神は不自由な人間を自由にする」 ( 「自由の意義」)
<ヨセフの例> 女性から自由な男性
<長野政雄さんの例> 死から自由な人
「真理はあなたがたに自由を得させるであろう」(聖書)
③「神は愛のない人間を愛のある者にする」 ( 「愛のさまざま」 )
<「氷点」に登場する宣教師、「塩狩峠」のモデル長野氏の例>
「最も大切な自分の命を人に与えることこそ、愛すると言えるのではないか」
「人、その友のために命を捨つる、これより大いなる愛はなし」(聖書)
④「神は虚無的な人間を満たされた者にする」 ( 「虚無というもの」)
「なぜ彼らが虚しくならないのか。それは、誰も彼から奪うことのできない実存を知っているからだ。虚無を満たすもの、それは実存しかない。実存とは、真実の存在なる神である。永遠に存在する神である。この神を信ずる時、わたしたちは虚無を克服することができるのだ。」
⑤「神は人間に新しく生きる力を与える」 ( 「序章」 )
「誰に対しても、神は人間として新しく生きる力を与え得るのだ。 ・・・信者たちは、そうした奇跡的な例を、限りなく知っている。人間が人間として生きて行くための、神の力を知っているのだ。」
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」 (Ⅱコリント5:17)
