【レポート】2025年1月12日 三浦綾子文学講演礼拝

礼拝

感想

今年最初も長谷川先生とオンラインで繋いで、三浦綾子さんの作品を通してお話しいただきました。今回は「愛の鬼才」の1回目で、三浦さんがクリスチャンになる最大の後押しをしてくださった西村久蔵氏について学びました。この作品の執筆にあたり、「この世を去って三十年にもなるというのに、先生は人の心をゆり動かしてやまない。人々が先生について語る時、その語る人自身の胸は必ず熱くなる。火がついたように燃えてくる。どなられ、叱られた思い出さえが、その人の生きる力となって甦る。」と三浦さんは西村氏について思い起こされています。西村氏の人生は、様々な失敗や挫折を通ることによって、イエス・キリストに愛されている事を経験することができたのです。その愛を自分と同じように悩み苦しんでいる人々に寄り添い、実践された方でした。参加者は先生を除いて7名、教会員以外の参加はありませんでしたが、三浦文学を通してなお、キリスト教を知って頂く機会として用いていきたく願います。

レジュメ

三浦綾子文学講座 「愛の鬼才」①

1、 「愛の鬼才」とは
①第41番目の作品で、「小説新潮」に連載された作品。
・連載 1982年6月~1983年9月
・単行本発行 1983年(昭和58年)10月20日(新潮社)
②主題は「愛」
「ここに、真の教育者あり!/人を憎まず、怨まず、人を信じ、許した稀有の男―キリストの深い愛に支えられ、人のために尽した情熱と誠実の生涯」(オビ)
「・・・創立まもない札幌商業学校で教鞭をとり、洋菓子店ニシムラを創業した、偉大な教育者・伝道者。その勇気と信念あふれた行動は、触れ合うすべての人に底知れぬ愛の楔を打ち込んだ。 」 (オビ裏)
「西村久蔵先生が召天されて、今年で三十年になる。先生は不思議な方だ。この世を去って三十年にもなるというのに、先生は人の心をゆり動かしてやまない。どなられ、叱られた思い出さえが、その人の生きる力となって甦るのだ。愛とはそういうものなのだと、私は連載中幾度思ったことであろう。 」 (あとがき)

2、「愛の鬼才」のメッセージ
①綾子さんへの言葉
「が、次の週の金曜日、約束通り西村先生は私を見舞に来られた。年の頃五十五、六、恰幅のいい体格である。どこか西郷隆盛を想わせる風貌だが、いきなり人の心を暖かく包みこむような、不思議な魅力があった。初対面の挨拶のあと、私の病状を尋ね、深くうなずいて聞き、 「それは大変ですね。前川さんからお便りをいただいて、すぐに伺いたかったのですが、遅くなりましてすみません」と先生は詫び、 「これは、私の店で作ったお菓子です。シュークリームは傷みやすいから、先におあがりください」と、菓子箱を差し出した。 思い出すさえ恥ずかしい話だが、 私はその菓子箱を受け取ろうともせずにこう言った。 「あの・・・私は療養中の身です。長い病気ですので、人様からいつもお見舞をもらうのを、当り前に思うようになりました。でも、人からもらうことに馴れると、人間が卑しくなります。どうぞお見舞の品はご心配くださらないように、おねがいいたします」 ・・・他の人なら、必ずむっと顔に出すところであろうが、先生はちがった。私の言葉を聞くと、大きな声で磊落(らいらく)に笑い、 「ハイハイわかりました。しかしね、堀田さん。 あなたは太陽の光を受けるのに、 こちらの角度から受けようか、 あちらの角度から受けようかと、毎日しゃちほこ張って生きているのですか」と、尋ねた。私はその笑顔と、この言葉に、自分の愚かさをはっきりと知った。受けるということがどんなことか、私はそれまで知らなかったのだ。生れてからその時まで、私は父母兄弟を始め、多くの人から数々の好意や親切を受けて来た。それはあたかも、太陽の光をふんだんに受けるのに似ていた。だが、療養生活が長びくにつれ、私は受ける一方の生活の中で心が歪んできていたのである。私は太陽の光をおおらかな気持で受けるように、多くの人の慰めや励ましを、おおらかに受けるべきであったのである。人の愛を受けるのに必要なのは、素直な感謝の心であった。 」(第一章二)
「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 」 (Ⅰテサロニケ5:18)
「このような先生の愛にふれ、私は先生に会った年の七月五日、小野村林蔵牧師の手によって洗礼を授けられた。明日からギプスベッドに入るという日の病床洗礼であった。 ・・・その席で西村先生は、私のために祈ってくださった。その祈りの言葉は、嗚咽の中に幾度か途絶えた。 「この病床において・・・この姉妹を・・・神のご用にお用いください」祈りの中のこの一言が、今も私の耳に残っている。病床においても、用いられるのだという喜びが、この一言によって湧いたのだ。癒されるにせよ、癒されないにせよ、病床が働き場であるならば、自分の生涯は充実したものになると、私の心は奮い立ったのである。西村先生の生き方にわずかでもふれた私は、 キリスト者とはすなわち、 キリストの愛を伝える使命を持つ者であると、固く信ずるに至った。その信じた延長線上に、現在の小説を書く私の仕事もあることを思わずにはいられない。 」(同)
「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。 」 (Ⅱコリント12:9)
②父の言葉
「久蔵は恐る恐るわが家に帰った。が、父も母も、久蔵を一切咎めなかった。 ・・・ただ伸夫はいつもの穏やかな口調で言った。 「お父さんは、久蔵を信じているよ。久蔵は陰でこそこそと悪いことのできる人間ではない。悪いことをしたら、必ず正直に謝る人間だ」」 (第二章二)
「愛は・・・すべてを信じ」 (Ⅰコリント13:4)
「父は珍しく遅く帰って来た。久蔵は畳に両手をついて謝った。その久蔵を見て、父の伸夫は言った。 「落第か。念には念を入れよという言葉があらあな。ま、念を入れてもう一度四年生を勉強することだな」父の叱責を覚悟していた久蔵は、呻くように泣いた。 「人生いろいろあらあな。落第もある。破産もある。失恋もある。久蔵、おれも小樽の支店を委されて、ま、しくじったようなもんだ。しかしな、久蔵。ころべば起きりゃあいい。いいか、起きりゃあいいんだ」 ・・・ 「なあに、人間、ちゃんと生きて行けば、失敗もいつか勲章になる。人様の前で、おれは中学の時落第したことがあると、言える人間になってみろ。ああ、あの人でも落第をしたことがあるのかと、どれだけの人間が勇気づけられるか、わかりゃあしねえ。お父さんはな、失敗は人間になくちゃならねえものかもしれねえと、思っている。一度も失恋もしたこともなければ、 金のやり繰りに苦労したこともない人間なんてえのは、 どんなものかねえ。 人の涙も、 悲しみも、思いやることができねえんじゃねえか」」 (第二章三)
「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。 」 (ルカ22:31、32)
③母の言葉
「久蔵は苫原の見くだすようなまなざしと、 胸を突き刺す侮蔑の言葉が辛かった。 箱車を曳きながら久蔵は、人を見くだす目ほど、 その人間をみにくくするものはない、 そのまなざしほど人を傷つけるものはないと、身に沁みて思った。 (よおし、俺は一生、人を見下すことだけはしないぞ!) ・・・箱車を牛乳処理場の前に置いている久蔵の傍に、母親のカクが寄って来た。 「ご苦労さま。おや、顔色が少し悪いじゃないか。どうかしたの」 カクにやさしく問われて、 久蔵はまたしても涙がこみ上げそうになった。 「どうしたのです?」再び問われて、 久蔵は苫原の言葉をカクに伝えた。 カクは黙って聞いていたが、 一部始終を聞き終わると、「どんなに辛かっただろうね、久蔵。でもね、辛い目に会わせてくれる人が、私たちを人間にしてくれるものなのですよ。いい人だけが、私たちを育ててくれるものではないのですよ。それほどに口惜しい目に会わせてくれたお友だちは、今にお前の恩人になるかもしれません。決して恨んではなりませんよ」慰めるカクも、白い割烹着の袖口で目を拭いた。 」 (第三章一)
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。 」(ヤコブ1:2~4)