【レポート】2024年9月8日 三浦綾子文学講演礼拝 

礼拝

参加者のコメント

今回も長谷川先生とオンラインで繋いで、三浦綾子さんの作品を通してお話しいただきました。今回は「夕あり朝あり」の1回目で、白洋舍クリーニングの創業者である五十嵐健治さんの激動の生涯を通して、一人の男性の人生に神がいかに関わって下さるか、不思議なようにちりばめられた様々なクリスチャンとの出会い、自身もイエス・キリストを真の神と信じるクリスチャンとなるまでを学びました。最後に語られたタイトルの意味の中に、闇の中を這いつくばるような苦しい人生でもやがて朝がやって来る希望を、神は私たちに与えていて下さることを覚えて感謝いたしました。次回いよいよ事業をスタートするところに入って行くのがとても楽しみです。参加者は先生を除いて5名、教会員以外の参加はありませんでしたが、希望を持って祈りつつ進ませていただきたいと思います。

レジュメ

三浦綾子文学講座 「夕あり朝あり」①

1、「夕あり朝あり」とは
①第51番目の作品で、「北海道新聞」に連載された作品。
・連載 1986年9月25日~1987年5月30日
・単行本発行 1987年(昭和62年)9月20日(新潮社)
②主題は「事業と信仰」
「天が与えた職業とは何か!?/クリーニングの〔白洋舎〕を興した五十嵐健治の生涯に事業と信仰の根源を描く!」(オビ)
「さて、著者が五十嵐健治の生涯をふりかえり、一番描きたかったのは、一九歳の時に受けたキリスト教のインパクトが、九六歳で天に召されるまで、強烈な太い線で貫かれ、このキリスト信仰の太い線に、事業経営というこれまた太い線が縒りあわされ、事業と信仰が見事に一体化した姿でもあった。・・・著者はキリストをまごころから信じて歩む時、信仰も事業もかならず祝福を受けると言いたいのだ。」
(解説 藤尾正人氏)

2、「夕あり朝あり」のメッセージ
①タイトルから
「人生、夕方もあれば朝も来る・・・十五歳で家出をした建治は、旅館の下働きから日露戦争軍夫へ、北海道のタコ部屋から三越百貨店の宮中係へと、波乱の道を歩む。そして信仰を得た彼がたどりついたのは、人の垢を洗うクリーニング業だった。/・・・日本で初めてのドライ・クリーニングの開発、厳しい時代の信仰への圧力との戦い。苦難はなお続いた・・・。」(オビ裏)
「神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。」(創世記1:3~5)
②序章から
「八、九歳頃まで、私はこの養母に抱かれて寝たものでした。養母は毎晩私の背中をなでながら、豊臣秀吉だの、佐倉宗五郎だの、郷土にゆかりの上杉謙信などの話を、くり返し聞かせてくれました。中でも佐倉宗五郎を養母は気に入っておりましてな、「健ちゃん、おっかさんはね、本当に偉いのはね、佐倉宗五郎のような人だと思うよ。人さまのために自分の命を捨てるなんて、そんな人はどこにもいやしないよ」と、度々言うのを、幼な心に、うなずきうなずき聞いていたものでした。とにかく、こんな物語を、義母の胸に抱かれながら聞く時の、美しさと申しましょうか、幸せと申しましょうか、この年になっても、あの気持ちは到底忘れられませんな。」(「二人の母」)
「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。」(ローマ15:4)
「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから、私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」(Ⅰヨハネ3:16)

③本文から
・祈り
「祈りというのは、商売繁盛、家内安全を祈るものだと思っておりましたが、ちがいました。あの時まで私は、あんな祈りがこの世にあるとは夢にも思っておりませんでした。住吉屋の夫婦の祈りはこうでした。先ず貧しい者たちにも食事が与えられるように、と祈るのですな。これには私も驚いた。まさかこの世に、貧しい者のことを心にかけて祈ってくれる人など、いるとは思わなかった。私はむろんその貧
しい者の最たる者でしたから、この祈りには応えました。(ああありがたい。何という心のあたたかな人だろう)と、感激した。」(「宿の主人たち」)
「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」(マタイ6:11)
・人間にとって大切なもの
「人間、喜ぶということは、大きな薬なのですな。たった今まで、顔色も悪く、目にも力がなく、喘ぎ喘ぎものを言っていた二人が、たちまち別人のようになった。青ざめていた頬にも、かすかに血がのぼり、目に光が帯び、語る言葉も、もう喘ぎ喘ぎではありません。喜びとか希望というものは、人間にとっていかに大切なものか、この時のことを私は時折思い出します。」(「監獄部屋」)
・生きる目的
「世には、生きる目当てがなくても、生きていける人間もいる。しかし、生きる目的がなければ、生きていけない人間もいる。十四、五歳の時には、私は天下の糸平を目標に張り切って生きていた。日清戦争が起きて、その目的は国家のために命を捧げることに変った。その時にも、少々の苦難には耐えられた。だが今は何の目的もない。目的もなく生きることは、私にはできなかった。」(「波打際」)
「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」」(マタイ22:36~40)
・聖書の第一行
「ま、そんなことで、明治二十八年のその時、私は聖書を自分の目で読むことができたわけです。人様はこの一番初めの聖書の言葉、<元始に神天地を創造給へり>を読んで、どうお感じになるかわかりませんが、私は実に仰天しました。たまげました。なぜなら、神というものは人間より幾分か偉いお方ぐらいにしか思っていなかった。・・・ところが、聖書には、なんと神という方が天と地をお創りになったと
ある。天と地を創ったと言う以上、私の拝んでいた太陽もお創りになったことになる。これはもう、何とも大きな喜びでした。私は自分の命が神のお計らいによって、この世に生み出されたことを、すぐさま素直に信じたのです。もし神という方がいられるならば、なるほどこの広大なる天と地を創り、人間を創り、動物を創り、植物を創り、山と海とを創る筈だと、実に驚くほどすーっとわかった。のちに、書物で、誰であったか、「聖書の第一行を理解する者は、聖書の全頁を理解する者である」と書いてあるのを読みましたが、私の理解がそれに当てはまるか、どうかはともかく、正に驚喜せんほどの喜びでした。」(「波打際」)
・イエス・キリストの十字架
「何しろ、初めて聞く話ばかりですから、私は一つ一つ驚いて聞きました。わけても、神が人間の罪を罰するのではなく、その独り子をこの世に遣わされて、全人類の罪をその独り子に負わせたということは、私を感激させました。私の幼い頃、義母のゆみは、義人佐倉宗五郎の話をよく聞かせてくれた。「健ちゃん、おっかさんはね、人のために死ねる人間が一番偉いと思うよ」と、語ってくれたものだった。その
時、罪もない佐倉宗五郎が、貧しい人たちのために、役人に抗議して、処刑された話に感奮したものでしたが、イエス・キリストの十字架の贖罪には、実に胸を打たれました。佐倉宗五郎と私には関係はないが、キリストと私との関係は絶大です。とにかくキリストが十字架にかかったことを信ずるだけで、私の罪は帳消しにされるわけですからな。」(「波打際」)
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:9、10)