【レポート】2024年2月11日(日) 三浦綾子文学講演礼拝

10時~ 礼拝・講演

参加者のコメント

「・・・人の人生は、苦難の連続かも知れませぬ。・・・苦難の解決は苦難から逃れることではなく、苦難を天主のご恩寵として喜べるようになることだと・・・」主人公のガラシャと侍女の佳代とのやりとりの一節ですが、一つ一つの苦難を乗り越える力を神様が与えて下さると信じて歩むならば苦難も恵みと変えられることを教えていただき感謝いたしました。

レジュメ

三浦綾子文学講座 「細川ガラシャ夫人」②

1、人間について
①価値
「「では、キリシタンでは、身動きの出来ぬ不具者でも、老人でも、同じように大切に扱うのですか」・・・「はい、御方さま。キリシタンでは、人の命はみなひとしく、この全世界より尊いと申しておりまする」「人の命はみなひとしい? では、殿の命も、位の低き者の命も?」「はい。キリシタンでは、人に貴賎はござりませぬ。いかなる命も捨てたり奪ったりは、なりませぬ」 「ふしぎな教え・・・。しかし、尊い教えに思われます」先程玉子は、自分がうばすて山に捨てられる老婆のように、侘びしく思われた。自分は捨てられても仕方がないように思われた。そう思っただけに、捨て子を拾って育てるキリシタンの教えは、切実に身近な、ありがたい教えに思われた。 」(「幽閉」)
「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。 」(マタイ16:26)
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、・・・」(イザヤ43:4)
「私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。 」 (詩篇27:10)

②目的
「各々方、人は何のために生き、何のために死ぬべきか。富のためか、宝のためか、位のためか。それらはすべて朽ち果てるのじゃ。・・・吾らは、吾らを創り給える天主のために生き、また死ぬべきではござらぬか。己が欲に従わず、天主の聖なる御心に従って生き、また死ぬべきではござらぬか。」(「迫害」)
「万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。 」 (コロサイ1:16)
「「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」」(マタイ22:36~40)

2、苦難について
「 「お方さま。佳代には、何の力もござりませぬ。ただ祈るより・・・」 「何を祈ってくださるのです。一日も早く帰ることができるようにと、祈ってくださるのですか」 「・・・佳代は、その祈りよりも、もっと大切な祈りを捧げております」 ・・・ 「帰城するよりも、もっと大切な祈り?・・・それはどのような祈りですか?」 「はい。それは・・・それは、もろもろのご苦難が、お方さまにとって、大きなご恩寵とお思い遊ばすことができますように、という祈りでござります」 「苦難を大きな恩寵と思うことができるように?それよりも、帰城できるようにとの祈りのほうが、ありがたいと思います」 「はい、お方さま。その祈りは無論及ばずながら、朝夕はもとより、機を織りながら、歩きながら、毎日欠かさずいたしております。でも、お方さま、人の一生は、苦難の連続かも知れませぬ。無事ご帰城なされても、また別の、もっと大きなご苦難が待っているかも知れませぬ・・・よく、パアデレがおっしゃいました。苦難の解決は、苦難から逃れることではなく、苦難を天主のご恩寵として喜べるようになることだと・・・」」(「山鳴り」)
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5:16~18)
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

3、信仰について
①なくてはならぬもの
「「お方さま、ほんに、人間の幸せに必要なものは多くはござりませぬ。パアデレは、なくてならぬものは、唯ひとつである、と仰せられております」・・・「・・・その一つとは、何でありましょう」・・・ 「神の言葉でござりましょう。信仰と申してもよろしゅうござります」」(「味土野の春」)
「主は答えて言われた。「・・・どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:41、42)
「信仰は聞くことから始まり、・・・」(ローマ10:17)

②神
「神という字を見よと右近はいった。神の字は、示す申すと書くであろう。神とは、自らを示し申すお方だとな。何を示し申すのだと尋ねたら、神の御ひとり子をこの世に下し、そのひとり子にご自身を示された、といっていた」」(「人の心と天の心と」)
「わたしを見た者は、父を見たのです。 」(ヨハネ14:9)
③救いの方法
「「デウスの神は、一体わたくしが何をしたら、救ってくださるのです」玉子は真剣であった。「お方さま。天主さまは、わたくしどもが何かをすれば救うとは仰せられません。ただ、キリストさまを救い主と信ずれば、それで許してくださるのです」 」 (「人の心と天の心と」)
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)
④御心に委ねる
「玉子は、「神を信じようと致します時、一番大切な心がけは何でござりましょう」と尋ねた。右近の顔が輝いた。「よいお尋ねじゃ。神を信ずる者の第一の心がけはのう。それは、何事も神の御心のままになさしめ給え、と祈ることではないかと存ずる・・・神は全智全能で全き愛のお方。この神のなさることに、われわれ小さな人間が、罪深いものがあれこれかしこ気に理屈を申し立ててもいたし方ござらぬ。先ず安心して己れを神の御手にお委ね申すことが肝要じゃ。われわれ人間の、あさき心のままになるよりも、神の深き御思いのままになるほうが、安全確実というものでござる故」 」(「こんてむつすむん地」)
「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」 (マタイ26:39)
⑤キリストの御跡に従う
「玉子はただ、 『こんてむつすむん地』にある通り、ひたすらキリストの御跡に従い、キリストに学んで生きようとした。 キリストのご性質のように、 自分もなりたいとねがった。 理屈よりも、 行為で知りたかった。頭よりも胸でキリストを知りたかった。 」 ( 「こんてむつすむん地」)
「神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。 」(Ⅰヨハネ2:6)
「私たちはみな、 ・・・栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 」 (Ⅱコリント3:18)

⑥伝道
「 「多羅、そなたもどうか、母の信じた天主を信ずるように。そうすれば必ずまた会えますほどに」 ・・・ 「お母さま、多羅も・・・きっと天主さまを信じます」」 ( 「恩寵の炎」 )
「夫人は、死の直前まで、天主を信ずることをすすめて居られました。即ち、夫人の残された方々への願いは、天主を信じ、真の平安、真の望み、真の幸せに至ることであったのでありまする」(同)
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、・・・わたしの証人となります。」 (使徒1:8)

※パアデレとはキリシタン用語で司祭職の役に就いている人の呼び名です。