【レポート】2024年1月21日(日) 三浦綾子文学講演礼拝

10時~ 礼拝・講演

参加者のコメント

私は今回学ぶまで「細川ガラシャ夫人」という作品を知らなかったのですが、長谷川先生がわかりやすく教えてくださり、ガラシャ夫人についてもっと知りたいと思いました。特に、13歳で弱っている人を救う仕事をしていた佳代さんのことが印象に残りました。聖書の言う人間とは、一生神を愛し、人を愛して生きる人のことであり、年齢は全く関係ないとを学び、私も佳代さんのように神や人を心から愛する人になりたいと思いました。

レジュメ

三浦綾子文学講座 「細川ガラシャ夫人」①

1、「細川ガラシャ夫人」とは
①第21番目の作品で、「光あるうちに」に続いて「主婦の友」に連載された作品。
「評論家佐古純一郎/読んでいくうちに、描かれるガラシャ夫人と書く三浦綾子さんとが、いつしか私の心の中で、ぴったりと重なり合うのを感じたが、それは三浦さんとガラシャが時を超えて、人格と人格との、信仰におけるひびきあいを経験していることを意味しているのであろう。」(オビ裏)
・連載 1973年1月~1975年5月
・単行本発行 1975年(昭和50年)8月1日
②主題は「信仰」「苦難」「人間」
「細川ガラシャを私が書くことは石川和雄社長の希望であった。社長は「ガラシャの『道ありき』を書いて欲しい」ということだった。」(命ある限り 第十章 弟の死)
「彼女に従っていた佳代が語る。「・・・もろもろのご苦難が、お方さまにとって、大きなご恩寵とお思い遊ばすことができますように・・・」この苦難を去らせ給えというのではない。この苦難をよろこび、感謝します、という祈りである。」(文庫本解説 水谷昭夫氏)
「四百年前、女性は男性の所有物であり、政略の具であった時代に、女性が人間らしく生きるということは、極めてむずかしいことであったと、想像される。そうした時代に、霊性に目ざめ、信仰に生きたガラシャの生き方は、私の心を深く打つ。」(「終わりに」)

2、「細川ガラシャ夫人」のメッセージ
①序章「痘痕」から
・この世の2種類の人達
「家人たちが騎馬のけいこをしているのであろう。土塀の外を大声で笑いながら、二、三騎駈けて行く音がした。凞子はいま、病後はじめて、離室の縁にすわり、庭ごしに母屋を眺めていた。」(書き出し)
土塀の外 家人たち この世の勝利者を象徴する
土塀の内 凞子 この世の敗北者を象徴する
・人間の弱さ
「が、いまにして凞子は顔の美しさの変わりやすさに気づいたのだ。ひどく頼りにならぬものに、頼ってきたような気がする。」
・変わらぬ愛 ※無条件の神の愛を象徴する。
「凞、明智殿はな、大したお方じゃ。これ、この書状を見い。予が許嫁せしはお凞どのにて、お八重どのには御座なく候、いかなる面変りをなされ候とも、予がちぎるはこの世に唯一人、お凞どのにて御座候。いいか、お凞、いかなる面変りをなされ候とも・・・」
「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの輪に出て行こう。」(エレミヤ31:3、4)
②本文から
・本当の美しさとみにくさ
「お玉、そなたは自分を産み育ててくれた母の顔を、不様だと笑ったのだぞ!・・・そなたは、自分の顔が美しいと思って、傲慢にも思い上がっているのじゃ。だがお玉、母はそなたよりも、ずっとずっと美しかった。その美しさも、気の毒に疱瘡で害われたのだ。・・・だが、父は母を美しいと思っているぞ。母は自分の顔がみにくくとも卑下はせぬ。卑下はせぬが、謙った思いで生きている。謙遜ほど人間を美しくするものはない。その反対に、いくら見目形がととのっていようと、お前のように思い上がったものほど、みにくいものはない!」(「艪」)
・人間の価
「よいか。人間を見る時は、その心を見るのだ。決して、顔がみにくいとか、片足が短いとか、目が見えぬなどといって嘲ってはならぬ。また、身分が低いとか、貧しいなどといって、人を卑しめてはならぬぞ。お玉。人間の価は心にあるのじゃ・・・女の第一の宝は、やさしい心じゃ。やさしい心の人間は、人を思いやることも、尊敬することも知っている。お玉はもっと、やさしい謙遜な人間にならねばならぬ。わかったな。」( 「艪」))
「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(Ⅰサムエル記16:7)
・すばらしい人間の生き方
「「佳代はキリシタンの養育会という会に入っておりましてな。・・・毎朝起きたらすぐに、京の近くの山を歩いて捨子を探して歩いてのう。見つけるとすぐに養育園に連れて行く。弱って生きる力のない子と見定めれば、養育園に神父を招いて洗礼を授けてもらう。こんなことばかりしてくらしている女子じゃ」
「まあ!十三歳でそんなお仕事を」玉子は目を大きく見はった。」(「縁」)
「「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」」(マタイ22:36~40)
「ある冬の日、右近は領内を見てまわっていた。その日は特別寒さがきびしく、吐く息も凍るかと思うばかりに白い。と、一人の領民が見るもみすぼらしい着物を着て、寒さにふるえている。ひじは破れ、膝はぬけたその着物から、鳥肌立った素肌があらわに見える。右近は直ちに自分の着衣を脱いで、その男に与えた。それは仕立てたばかりの真新しい衣服であった。男は驚きと喜びの余り、口をきくこともできなかった。帰城した右近を見、夫人が驚いて尋ねた。「殿、仕立ておろしのあの着物、いかがなさりました?」右近は莞爾として答えた。「喜べ、あれは、イエズスさまにお捧げいたしてきた」これを聞いた夫人もにっこりとほほえみ、胸に十字を切ったという。」(「氷雨」)
「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25:40)
「「右近殿の領民は幸せでござるな」「幸せであってほしいとねがっておりまする。領民が不幸せでは、領主に幸せはござりませぬ」思わず玉子は顔を上げた。・・・いまだ曾て、このような言葉を玉子は聞いたことがなかった。・・・海老沢有道氏もその著「高山右近」の中で、「彼(右近)は決して改宗を権力をもって強制することはなかった。領民にも大名とは到底思われぬほどの謙虚さと愛とをもって交わった。彼はみずからの言動をもって模範を示し、キリシタン精神にもとづく政治を行って、領民にそれを示した。(中略)そして、それに感化された人々は、すすんで説教を聞き信者になるのであった。もちろん彼は異教徒に説教を聞くよう奨励した。しかし常にキリシタンになるもならぬも全く自由であることを強調した」と書いている。こうして、やがて二万五千人の領民のうち一万八千人がキリシタンになったわけであるから、その領内の結束は堅かったであろう。」(「ジェスト高山右近」)
「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」(Ⅰテモテ2:1)
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:16)