【レポート】2023年9月24日(日) 三浦綾子文学講演礼拝

10時~ 礼拝・講演

参加者のコメント

今回の学びは「海嶺」でした。内容がわからない方のため本のあらすじから説明がなされ、わかりやすく公演が進められました。仏教とキリスト教の比較もされ学びを深めることができ感謝しました。

レジュメ

三浦綾子文学講座 「海嶺(上)」

1、「海嶺」とは

①週刊朝日(朝日新聞社)に連載された第34番目の作品。
・連載  1978年10月6日~1980年10月17日

※帯状疱疹のため1980年5月7日から28日まで入院し、1980年5月30日号から8月15日号まで休載

・単行本発行 1981年(昭和56年)4月20日(朝日新聞社)

②三浦光世氏と共に世界を巡って書き上げた作品。
・香港、マカオ、小野浦 1977年4月

・フランス、イギリス、カナダ、アメリカ、ハワイ 1978年5、6月

③最大の長篇小説 「海嶺」は綾子の作品の中で、最大の長篇であった。「氷点」は正続で二千枚ほどだが、「海嶺」は続篇なしで千六百枚の大作となった。」(「三浦綾子創作秘話」三浦光世氏)

2、「海嶺」のメッセージ

①タイトルから
「題名「海嶺」は最初にも書いたとおり、百科事典によれば「太平洋に聳える山脈状の高まり」とある地理 用語である。私はこの海嶺という言葉を知った時、ほとんど人目にふれないわたしたち庶民の生きざまに 似ていると思ったことである。たとえ人目にふれずとも大海の底には厳然と聳える山が静まりかえってい るのである。岩吉も音吉も久吉も、それぞれに海嶺であったと思う。」(「創作後記」)
「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。・・・あなたの目は胎児 の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。」(詩篇139:13、16)
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、・・・」(イザヤ43:4)

②序章から

・思いもよらない苦難と諦め
「武右衛門はまだ四十二だというのに、二年前から神経痛でほとんど床についている。・・・武右衛門は・・・ 飲んだところで、もう自分の病はなおるまいと、諦めた表情になっている。」(「「開の口」一」)

・必ず元気になる

「音吉は素早くその父の気持ちを察して言った。「父っさまぁ。必ず元気になるでな」」(同)

③本文から

・御蔭参り
「音吉も御蔭参りのことは聞いていた。何でも、六十年毎に御蔭参りが流行するという。今年はその御蔭 参りの年で正月早々伊勢神宮の札が、日本中に、天から降ったという噂が立った。御蔭参りの年にはこ のお札が降るらしい。・・・このお札の噂が立つと、どこの土地からも、伊勢神宮に五人、十人、二十人、あるいは四十人と、一団になって参詣が始まる。御蔭参りの特徴は、誰にも断らずに、いつ何時飛 び出してもいいということだ。金を一文持たなくても、握り飯一つ持たなくても、この参詣人たちを泊 める善根宿や、接待所が道中に出来る。食べ物も銭も、駕籠も馬も、風呂もみんな必要に応じて与えら れる。」(「良参寺」三)
「お蔭でさ、するりとな、ぬけたとさ」(同)
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」 (詩篇119:71)

・どんな事情でも自分を捨てない者(真実な心)

「自分が捨てられていたという松の木の根方に、岩松はじっと立ちどまってあたりを眺めるのだ。そして想うのだ。その時まで自分を抱いていた母親が、赤子の自分をそこに捨てる時の、その姿を思うの だ。・・・いつの頃からか、岩松の胸の中に、色白の弱々しい、二十前後の女が目に浮かぶようになっ た。自分を松の根方に寝かせる前に、その胸を押しひろげて、心ゆくまで乳房をふくませたにちがいな いと思ってみる。そして、一心に乳房を吸う自分の顔を、涙にかきくもった目でみつめていたであろう その女の顔を、想うことができるのだ。(よっぽどの事情があったんだろう)岩松はそう思うことにし ている。」(「截断橋」一)
「世には真実な心というものがあるものじゃ。求めていけば、いつかはその真実にめぐり会うものじゃ。」 (「截断橋」二)
「私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。」(詩篇27:10) 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」(イザヤ49:15)

・人生の目的を失う

「重右衛門と岩松が、胴の間まで歩いて行った時、仁右衛門はじめ水主たちも、艫櫓(ともやぐら)にべ
ったりと坐りこんだまま、帆柱の失われた空を呆然と見上げていた。切り倒すまでは、誰もが懸命であ った。だが、切り倒したあとの虚しさが、どんなに大きいものか、誰も想像することができなかった。」
(「怒濤」四) 「どこへともなく漂っているだけの今は、何をすることも無駄に思われた。」(「月の下」一)
「敗戦がわたしを虚無に陥れたことは幾度も書いた」(「光あるうちに」(終章二)) 「小学校の教師をしていた頃の、あの命もいらないような懸命な生き方とは全く違った、「命のいらない」生き方であった。」(「道ありき」11)

・思わぬ災難と思わぬ幸せ

「この年がどのような年になろうものやら、それは誰にもわからぬ。だがのう、皆の衆ようく聞くがよい。たとえ陸にいても、この年、思わぬことに出遭う人間は数多(あまた)いる。死んでいく者もたくさん あろう。こうして、大海にただよっているからといって、いかなるよいことが待っているか、これまた 人間の身にはわからぬことじゃ。思わぬ船が現れて、故里まで送り届けてくれるかも知れぬ。今十日も 経てば、花咲く美しい島が現れ、清い水の流れる岸べに臥すことができるかも知れぬ。思わぬ災難に遭 ったように、思わぬ幸せに遭わぬものでもない」(「初春」一)
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。-主の御告げ- それはわざわ いではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)