10時~ 礼拝・講演
レジュメ
「続氷点②」
1、すべての人になくてはならぬもの
①教会
「村井はうそぶいて外を見た。「おや、あの十字架は何です? 教会ですか」くもり空の下に、高い屋根の十字架が、すぐ裏手に見えた。「教会よ」「わたしとは無縁のところだな」「村井さんみたいなひとは、行くといいんじゃない? ね、夏枝」夏枝は困ったように微笑した。」(「花ぐもり」)
「イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」」(マルコ2:17)
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
②救い
「いや、辰ちゃん。おれみたいな極道者を救ってくれる神さまはないよ」「人なみなことをいうのねえ。でもさ、極道者や大悪人は一番救いやすいんだってよ。自分で本当に極道者と思いこんでいれば、神さまの前に頭が上がらない。これは一番手がかからないよねえ。手のかかるのは、人の前にも、神の前にも、何一つ悪いことをしていないと思っている人間だろうねえ」「じゃ、院長みたいなのは、救いがたいかな」と、村井は再び夏枝の顔を見た。「辻口のだんなねえ。あのひとは全く品行方正だよ。しかし、あのひとはいいことをしていても、悪いことをしているみたいに、いつも反省ばかりしてるからねえ。救いがたい人ではないわねえ」何年か前の冬、啓造が教会の前に佇んでいたことを、辰子は思い出したが、いわなかった。・・・「へえ、じゃ、辰ちゃんはどうです?」「聞くまでもないわよ。一番救われがたいのはわたしさ。わたしは同じ町内に教会があっても、ついぞ、ざんげしに行こうとか、祈りに行こうとか思ったことがないものねえ。夏枝はどう? 仏さまや、神さまなんて、いらないと思う?」「よくわかりませんわ。毎日お仏壇に手を合わせますけど、考えてみましたら、何に手を合わせているのか、わかりませんもの」「だいたい、そんなものじゃない? わたしたちって。神棚に手を合わせるけれど、神棚に神さまがいるなんて思ってやしない。仏壇の前にすわっても、仏さまがその中にいるなんて考えてやしない。つきつめたら、何に手を合わせているのか、わからないんじゃない? 大ていの人は」「そうですよ。無意味なことをしているんですよ。とにかく神さまなんて、ありやしない。安心なさいよ、辰ちゃん」「いや、神さまがいないんじゃ、安心できないわよ。わたしはいざっていう時、神さまに頼みたいことがあるんだからね」「へえー、いま一度も祈りに行こうと思ったことがないって、いったじゃないですか」「これからのことは、わからないわよ」「でも、一番救われがたいのは、自分だと辰ちゃんはいいましたよ」「ばかねえ、救われがたいからといって、救えなきゃ神さまとはいえないよ。一人残らず救うのが神さまだからね」」(「花ぐもり」)
「イエスは彼を見てこう言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」これを聞いた人々が言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」」(ルカ18:18~27)
2、登場人物からのメッセージ
①順子
a) 責める心から解放される道を示す。
「<・・・陽子さん、わたしは乳児院に預けられ、二つの時に育児院に移されて、四つの時までそこで育ちました。そのころ、相沢の父母が、高木先生を通して、わたしをもらってくれたのです。父母はわたしをもらう時、わたしの身の上を一切知った上で、こういったそうです。「子供にめぐまれない親と、親にめぐまれない子供です。似合の親子ではありませんか」って。・・・四歳になっていましたから、自分がもらわれたことは、むろん知って育ちました。相沢の父も、やはり人にもらわれて育ち、その親が大そうよい人で、幸せだったのだそうです。それで、子供のない父は、なるべくかわいそうな事情の子供を、もらおうとしたらしいのです。だからわたしは幸せでした。でも陽子さん。わたしはその「かわいそうな事情」を持った子供なのでした。その事情を今は語りたくありません。ただ、わたしは自分の実の父を、一時非常に憎み、呪い、心の中で責めつづけたことがありました。しかしわたしは、相沢の父母に連れられて教会に通い、そこでキリストの贖罪を知ったのです。それからです。わたしが本当に明るくなったのは。・・・>・・・やがて読み終えた啓造は、しばし目をとじた。「子供にめぐまれない親と、親にめぐまれない子供です。似合の親子ではありませんか」という言葉が、啓造の心を突き上げていた。何と謙遜な、暖かさに溢れた言葉であろう。啓造は涙のにじむ思いがした。この相沢という親に比べて、自分は何と冷酷な思いで陽子を引きとったことだろう。自分は妻への復讐のために陽子をもらったのだ。」(「命日」)
「<しかし順子さんは、今では殺人を犯したその父への憎しみが消えたという。いかにして、その憎しみが消えたのか。順子さんはキリストの贖罪を知ったという。キリストの贖罪とは何か、わたしにはわからない。だが、多分この一語にこめられているであろう深い意味、あるいは真実が、非常に力あるものであろうことは、想像できる。なぜなら、殺人犯の父を憎む、その憎しみをさえ拭い去ることができたのだから>」(同)
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、・・・」(イザヤ43:4)
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)
b) 神と人とにわびることのすがすがしさを示す。
「六条十丁目のこの教会の前を、啓造は十年ほど前にうろついたことがあった。あれから今日まで、いく度教会を訪ねたいと思ったことだろう。その度に啓造はためらってやめた。それが、今日遂に来ることができたのだ。(あの娘のおかげだ)啓造は、石原での、あの日のことを思った。」(「奏楽」)
「四人は川原に降りた。広い石原である。「あなた、このあたりでしたわね」「うん」・・・「たった三つの子の首をしめるなんて、佐石という男も、ひどいことをしたものですわ」・・・順子の顔がみるみるうちに、紙のように白くなった。「あら! どうなさいましたの、順子さん。お顔の色が・・・」・・・「順子さん!」再び夏枝が呼んだ時、順子はへたへたとその場に崩おれた。・・・「ごめんなさい。ルリ子ちゃんを殺したのは、わたしの父です」・・・「わたし、佐石土雄の娘です」いったかと思うと、順子は石原に顔を伏せた。・・・「え、佐石の?!」驚がくした夏枝の表情を、啓造は立ったままぼんやりと見おろした。陽子が順子の背に手をおいて何かいっている。啓造は悪夢を見ている心地だった。・・・順子が顔を上げた。「わたしを、どのようにでもなさってください。わたしの父の罪を、わたしはおわびしたいと思って、生きて来たのですから」」(「石原」)
「順子はいった。「・・・わたしは父の罪をおわびしたいと願い続けてきたの。神さまにも人にも許していただきたかったの。こうしておわびできて、どんなに気が楽になったか知れないわ」啓造はこの言葉を聞いた時、わびることのすがすがしさを感じた。確かに、神にも人にも一切をわびたなら、どんなに心が晴れることだろう。自分の心の中には、今までの半生にわびなかったもろもろのことが、おりのように一杯につまっているような気がする。自分も教会に行きたい。行って、陽子のように、神と人との前にわびる心を与えられたいと、啓造はつくづく思ったのだった」(「奏楽」)
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。」(ヤコブ4:16)
「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」(マタイ9:2)