【レポート】2023年3月26日(日) 三浦綾子文学講演礼拝

10時~ 礼拝・講演

参加者のコメント

原罪をテーマに「この様な人は罪人である」「本当の人間の姿はこうあるべきである」ということを分かりやすく教えていただきました。虚しさや気晴らしなど、私は罪と感じていなかったことも罪だと教えていただき、自分自身の罪と向き合うことができて感謝でした。

レジュメ

「氷点」

1、原罪を持つ人間の姿

 ①序文から  「人間には誰でも“光”と“影”がある」

  「風は全くない。東の空に入道雲が、高く陽に輝いて、つくりつけたように動かない。ストローブ松の林の影が、くっきりと地に濃く短かった。その影が生あるもののように、くろぐろと不気味に息づいて見える。」

                                             (「敵」)

  (例)夏枝  院長夫人、美貌  ― 光   不倫の思い  ― 影

     啓造  病院長、品行方正 ― 光   憎しみ、復讐 ― 影

 ②本文から

  ・罪は目に入った炭塵のようなもの

   「夏枝は、ストーブの灰を捨てる時、灰が目に入って村井に診てもらった。・・・「これですね、犯人は」村井は夏枝に、ピンセットの先の小さな炭塵を見せた。「見えませんわ。あまり小さくて」手術台の上に片手をついた姿勢で、夏枝は小首をかしげて微笑した。「これなら、見えますでしょう」村井は白いちり紙に、ピンセットをなすりつけるようにして炭塵を移した。・・・「まあ、こんなに小さいんですの。あんまり痛いものですから、どんな大きなゴミかと思いましたわ」」(「敵」)

   「また、なぜあなたは、兄弟の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取りのぞくことができます。」(マタイ7:3~5)

  ・自分を制御できない

   「(それなのに、何故村井さんと二人でいることがあんなに楽しいのかしら)夏枝にはそれがふしぎだった。今はこうして、夫が一番いいと思っていても、再び村井に会うとどうなるか、自信がなかった。制御できないものが、自分の血の中に流れているのを夏枝は感じた。」(「敵」)

   「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。」(ローマ7:15)

  ・聖書の言葉を守れない

   「啓造は「汝の敵を愛すべし」という言葉を思い出していた。学生時代だった。夏枝の父である津川教授がいったことがあった。「君達はドイツ語がむずかしいとか、診断がどうだとかいいますがね。わたしは、何がむずかしいといって、キリストの“汝の敵を愛すべし”ということほど、むずかしいものは、この世にないと思いますね。大ていのことは努力すればできますよ。しかし自分の敵を愛することは、努力だけじゃできないんですね。努力だけでは・・・」夏枝の父は内科の神様のようにいわれた学者で、その人格も極めて円満な人であったから、ひどく悲しげな面持で語ったその言葉は啓造に強い印象を与えた。学生の啓造からみると、この教授には不可能な事が一つもないように思われた。講義の時に何かのことから津川教授はそう語ったのだったが、こんな円満な人にも敵がいて、悩むことがあるのかと、啓造は不思議に思ったものであった。」(「敵」)

   「律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。・・・私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。」(ローマ7:7~9)

・人間は結局同じである

   「啓造が十七か八の夏だった。近所の八つぐらいの女の子を連れて、この川に泳ぎにきたことがあった。泳ぎ終わって帰ろうとするころ、あたりには、人影がなかった。・・・啓造はつとめて自然に、女の子をひざに抱きかかえると、「誰にもいっては、いけないよ」とおどすようにひくくいった。女の子はおびえた大きな目で、じっと啓造をみつめた。泣きもしなかった。・・・(犯人の佐石とおれと、どれだけの違いがあるのか)(佐石は劣情を持たなかっただけ、おれよりまだましな人間かもしれない)(おれだって、あの時あの子が泣きわめいたら首をしめたかも知れないのだ)啓造はうなだれた。(医学博士の辻口啓造も、殺人犯人の佐石土雄も、結局は同じなのだ)」(「線香花火」)

   「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10)

  ・むなしい

   「深い絶望が啓造をおそった。ルリ子は殺され、夏枝は姦淫をした。(いったい、何のためにアクセクとおれは働いているのだろう)ふいに何もかもが、無意味に思われた。日頃誇りに思っていた医師としての仕事もむなしいものに思われた。」(「雨のあと」)

  ・恐ろしい思いが心の底からわいてくる

   「啓造はいま、自分の心の底に暗い洞窟がぽっかりと口をあけているような恐ろしさを感じた。最愛であるべき妻にむかって、一体自分はなんということをしようとしているのか。この恐ろしい思いは、自分の心の底に口をあけたまっくらな洞窟からわいてくるように思われた。(心の底などどいって、底のあるうちはまだいいのだ。底しれないこの穴の中から、自分でも想像もしなかった、もっともっと恐ろしいささやきが聞こえてくるのではなかろうか)そしてこの底しれぬ暗い穴は、自分にも、夏枝にも誰の胸にもあることを思わないわけにはいかなかった。」(「雨のあと」)

・ゆるすことができない者

   「(だが、あの時おれは夏枝をゆるすことができなかった)(と、いって、ゆるさなかったばかりに、誰もかれも不幸にしてしまったではないか。復讐しようとして、一番復讐されたのは自分自身ではなかったか)」(「淵」)

   「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」(ルカ6:37)

  ・必ず死ぬ者、死んだらどこに行くのかわからない者

   「陽子・・・この街の人々に公平に与えられているものが一つあるよ。何だと思う・・・おとうさんはいま、こう思っていたのだ。貧しい人にも金持ちにも、健康人にも病人にも、死だけはまちがいなく公平に与えられているとね」(「赤い花」)

「「人は死んだらどこに行くのだろう。天国だろうか、本当に天国や地獄があるものだろうか」・・・ぼくはどこへ行くか、まだわからない。」(「よそおい」)

   「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル9:27)

   「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)

  ・大いなるものの意志によって導かれている者

   「<遠くに知床半島がかすんで見える斜里の海岸にきました。・・・けさ、この海岸に若い女性がうち上げられて倒れていました。死のうとして海に入ったのに、波が彼女を岸に運んでしまったのです。・・・死のうとしても死ねない時があるということが、ぼくには意味深いものに思われてなりません。それこそ死にものぐるいの人間の意志も、何ものかの意志によってはばまれてしまったというこの事実に、ぼくは厳粛なものを感じました。単に偶然といい切れない大いなるものの意志を感じます。ある意味において、それは人の死に会った時よりも厳粛なものとはいえないでしょうか。>・・・(大いなるものの意志とは何のことかしら? 神のことかしら)」(「千島から松」)