【レポート】2023年2月26日(日) 三浦綾子文学講演礼拝

今回のレポートから、録画した長谷川先生の講演、参加者のコメント、配布されたレジュメを掲載いたします。

10時~ 礼拝・講演

参加者のコメント

氷点という作品を通して三浦綾子さんが語らなければならないと言っている原罪について噛み砕いて説明がなされました。さらに聖書の聖言を合わせて学ぶことで三浦綾子さんの考え方の基となったキリスト教についても深く知ることができました。

レジュメ

「氷点」①

1、氷点とは

 ①朝日新聞の「一千万円懸賞小説」に入選し、一大ブームを巻き起こした三浦綾子の処女作にして代表作。

  ・新聞連載  1964年12月9日~1965年11月14日

  ・単行本発行 1965年(昭和40年)11月15日

 ②主題は「原罪」

  「原罪というテーマは、私の切実な叫びである。この叫びを持っている以上書くべきではないか。そう思うと「書こうかしら」という気持ちはいつしか「書かねばならぬ」思いに変わっていた。」

(一千万円懸賞小説・応募作品と私(1)『氷点』―訴えたかった“原罪” 

「朝日新聞夕刊」1964年7月11日 「遺された言葉」に収録)

2、氷点のメッセージ

「啓造は説教の題名<なくてはならぬもの>に心をひかれた。・・・(なくてはならぬものとは何だろう? おれにとって、なくてはならぬものとは何だろう) 」(階段) 

①人生の目的 

「<遠くに知床半島がかすんで見える斜里の海岸にきました。・・・けさ、この海岸に若い女性がうち上げられて倒れていました。死のうとして海に入ったのに、波が彼女を岸に運んでしまったのです。> 」

(千島から松) 

・神と人を愛する 

「「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」そこで、イエスは彼に言われた。 「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」」(マタイ22:36~40) 

・全世界に宣教する 

「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」

(マタイ28:18~20) 

②自分の存在価値 

「「つまらないんです。何もかも・・・ぼくは自分が何のために生きているのかわからなくなりました・・・ぼくは六年もの間、そろばんをはじいたり、金を数えたりして働いてきました。しかしそんなことは機械にだってできる事じゃありませんか。・・・こうして自分が二年間休んだって、銀行はちっとも困りませんでした。そればかりじゃなく、ぼくの休んでいる間に市内にだけでも支店が二つもふえて繁盛しているんですからね。ぼくが休もうが休むまいが同じなんですよ。つまりぼくの存在価値はゼロなんです。そんな自分が職場に帰って何の喜びがあるもんですか。」啓造はその時、ぜいたくな言い分だと思って、笑ってとり合わなかった。その正木が今日自殺したのである。名あてのない遺書には、「結局人間は死ぬものなのだ。正木次郎をどうしても必要だといってくれる世界はどこにもないのに、うろうろ生きていくのは恥辱だ」と書いてあった。・・・(結局は、その人もかけがえのない存在になりたかったのだわ。もし、その人をだれかが真剣に愛していてくれたなら、その人は死んだろうか。) 」(赤い花) 

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。 だからわたしは人をあなたの代わりにし、・・・」(イザヤ43:4) 

③罪の赦し 

「今まで、どんなにつらい時でも、じっと耐えることができましたのは、自分は決して悪くはないのだ、自分は正しいのだ、無垢なのだという思いに支えられていたからでした。でも、殺人者の娘であると知った今、私は私のよって立つ所を失いました。・・・自分の中の罪の可能性を見出した私は、生きる望みを失いました。どんな時でもいじけることのなかった私。陽子という名のように、この世の光の如く明るく生きようとした私は、おかあさんからごらんになると、腹の立つほどふてぶてしい人間だったことでしょう。けれども、いま陽子は思います。一途に精いっぱい生きて来た陽子の心にも、氷点があったのだということを。私の心は凍えてしまいました。陽子の氷点は、「お前は罪人の子だ」というところにあったのです。私はもう、人の前に顔を上げることができません。・・・私はもう生きる力がなくなりました。凍えてしまったのです。 」

(遺書) 

「私は今まで、こんなに人にゆるしてほしいと思ったことはありませんでした。けれども、今、「ゆるし」がほしいのです。おとうさまに、おかあさまに、世界のすべての人人に。私の血の中を流れる罪を、ハッキリと「ゆるす」と言ってくれる権威あるものがほしいのです。 」(同) 

「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」(マタイ9:2) 

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(コリント5:21) 

④将来への希望 

 「写真の下に<犯人佐石のたどった道>という記事があった。<犯人佐石のたどった道。佐石の語ったところによると、佐石は東京の生れで幼時両親を関東大震災で一時に失い、伯父に養われて青森県の農家に育ち、昭和九年の大凶作に十六歳で北海道のタコ部屋に売られ、後転々とタコ部屋を移り歩いた。昭和十六年入隊、中支に出征中戦傷を受け、第二陸軍病院に後送、終戦直前渡道、日雇人夫として旭川市外神楽町に定住、結婚した。内縁の妻コトは女児出産と同時に死亡>」(灯影) 

 「洗礼式が終って、小野村牧師はすぐに次の集会に出なければならなかった。先生は静かにおっしゃった。「必ずなおります。いましばらくの試練ですからね」わたしは素直にうなずいた。・・・「必ずなおります」その確信に満ちた静かな言葉は、その後の長い病床生活の中で、いく度もわたしを慰め励ました。 」

(「道ありき」三十三) 

 「もし・・・療養している最中に、誰かが私に次のように預言したとしたらどうであったろう。「あなたの病

気は治ります。そして、三十歳を過ぎてから、一人の男性が現れます。・・・五年目には、あなたはその人

と結婚することでしょう。・・・それから五年後、一千枚の長編小説を書き、その作品が入選して、一千万

円の懸賞金をもらうことでしょう。そして少なくとも七十歳までは生き、七十冊近い本を出すことになるで

しょう」と。私はこれを聞いて腹を抱えて笑うか、くだらぬ冗談として聞き流したことであろう。 」

(「明日のあなたへ」神の領分) 

 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ――それはわざ

わいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

(エレミヤ29:11) 

 「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主」(ルツ記2:20)