【レポート】7月17日(日) 三浦綾子文学講演礼拝

今回も、新型コロナウイルス感染症対策のもと、仙台聖泉一本杉キリスト教会で三浦綾子文学講演礼拝が行われ、三浦綾子読書会顧問の長谷川与志充先生が、リモート配信で三浦綾子代表作「道ありき」についての講演を行ってくださり、中学生から社会人まで幅広い年代で共に学ぶ機会が与えられました。

10時~ 礼拝・講演

第1回目読書会にて「道ありき」の土台となる「氷点」という作品のメッセージが語られ、「氷点」に出る4人の自殺者から言える4つの「なくてはならないもの」として①人生の目的 ②自分の存在価値 ③罪の赦し ④将来への希望の4つが示されました。今回の講演では③罪の赦しについて詳しく語られました。

「氷点」の中で、「罪の意識のないのが、最大の罪ではないだろうか。と私は思った。」という言葉があります。この言葉から「罪の意識の中には認識できていない罪があり、見えているものだけが罪ではない」ということが語られ、私も自分の罪について深く考えていこうと思わされました。

また、人は生まれながらの罪人でありながらも「自分は決して悪くない、自分は正しい」という思いを持ち、その気持ちが生きる土台となってしまっているということを知ることができました。その思いの中には「自分を正しいと思うことによって、いつしか人を見下げる冷たさ」があり、その思いは原罪であると道ありきには書かれていて、そのことから、私自身、人に対して自分の物差しと他人の物差しの中で無意識に自分に甘く、他人に厳しくしてしまっていることに気付かされました。

「氷点」の中に出てくる陽子さんが自分の罪に気づいた時は、こんなに人に許してほしいと思ったことは無いほどに自分の血の中を流れる罪をはっきりと「ゆるす」と言ってくれるものがほしかったのだそうです。陽子さんは実際に流氷が紅色になって行くのを見て「天からの血だ!」と感じ、目の前でキリストが十字架に流されたという血潮を見せられているような感動を覚え、神の子の聖なる生命でしか罪はあがない得ないものであるということを素直に信じられたそうです。

私たちが罪の赦し、救いを多くの人に広めていくためにはまず自分の罪を見つめ、救いを自分のものとすることが大切だと語られ、私はあまり罪について深く考えたことはありませんでしたが、自分の罪についてしっかり考え、私も陽子さんのように素直な信仰を持っていきたいと願いました。

☆参加者のコメント☆

はじめての参加でしたが、先生から始めにこれまでの振り返りもしていただき、途中参加でも抵抗感なくお話を聞くことができました。
三浦綾子さんの道ありきや氷点の様々な個所の抜粋がなされ、小説内に隠されたその想いを読み解いていただきました。今回は「罪の赦し」について語られました。「人生においてなくてはならないもの」のなかでは一見必要とされないものに感じられますが、これが一番大切であると先生はおっしゃいました。氷点の中で語られているイエス・キリストの十字架によって罪の赦しを受けた時に主人公が受けた衝撃が流氷が溶けていく描写によって美しく描かれています。それは「罪」によって冷たく凍っていた心が溶かされた事を筆者が表現したものでしたが、その光景がまるで目の前に浮かぶようでした。私たちの心が罪によって凍ってしまわないよう、キリストから受けたいのちをかけた愛を受け、私も誰かの凍ってしまった心にキリストの罪の赦しを伝えるものとなっていきたく願います。
(20代 Sさん)