【レポート】6月19日(日) 三浦綾子文学講演礼拝

新型コロナウイルス感染症対策のもと、仙台聖泉一本杉キリスト教会で三浦綾子文学講演礼拝が行われました。

10時~ 礼拝・講演

三浦綾子読書会顧問の長谷川与志充先生による三浦綾子代表作「道ありき」についての講演が、リモートで行われました。

前回、第2回目読書会にて「道ありき」の土台となる「氷点」という作品のメッセージの中から、人生において「なくてはならないものとは何か」を「氷点」の4人の自殺者から言える4つのものとして①人生の目的 ②自分の存在価値 ③罪の赦し ④将来への希望であると示されました。今回は②自分の存在価値について詳しく語られました。

・私とは何ものなのか

神によって私達ひとりひとり作られた神の作品であること。教会とはその神様が造られた人々が集う展示会のようなものであることが語られました。

・私の価値とは

神は私たちの罪の贖いの為にイエス・キリストを十字架につけられました。キリスト教の中心ともいえる事柄を本当の意味で理解することが必要であると語られ先生は一つ自分の昔の出来事を語って下さいました。それは本当に自分を愛していると信じられる恩師に投げかけた一つの質問の事でした。戦争が起こり周りは火の海です。恩師はヘリコプターで避難をしていました。その時ふと下を見ると長谷川先生と自分の息子二人がいます。どちらか一人しか助けられません。どちらを助けますか?という質問でした。恩師の答えはもちろん自分の息子を助けるというものでした。長谷川先生もなんとなくそうだろうと思っていた答えでしたが改めて自分の子どもを捨ててまで自分という人間を優先してくれる存在はないのだと思ったそうです。しかし神は私達を救うためにひとり子であるイエス・キリストを捧げました。それほどの価値が私達にはあるのです。

・私の必要とは

恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。・・・わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」(イザヤ43:5、7)

聖書に書かれている通り私たちの生きることへの不安はこの神の言葉によって神により頼み歩むことが出来ます。また私たちが造られた意味は神の栄光を表すためであると語られました。

私達の教会がイエス・キリストによる救いを多くの人々に伝え、神の栄光を表すところとなるように願っています。

☆参加者のコメント☆

人間は自分の子どもと他の子どもの命が天秤に掛けられたときに、間違いなく自分の子どもを選びます。しかし神様は、イエス•キリストというたった1人の子どもではなく、私たち人間の命を選ばれました。それほどまでに、私たち一人一人に存在価値を置いてくださる方は他にはいないと心から思わされました。(二十代 女性)